こたつモラトリアム

できることなら永遠にここで暖をとっていたい

📚『ポトスライムの舟』津村記久子

「ポトスライムの舟」は2009年に刊行された津村記久子の小説である。同年に芥川龍之介賞を受賞。単行本には同タイトルの他に「十二月の窓辺」も収録されている。

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1.   あらすじ

A.     働く意味はわからないけど、働かないと気が済まない

平日は工場のライン作業、土曜はパソコン教室の講師、夕方以降は友人の経営するカフェのスタッフ、家ではデータ入力の内職。ナガセは様々なパートを掛け持ちし、休みなく働き続けていた。忙しくしていないと、一度立ち止まると、自然と自分に向き合ってしまう。『働く自分自身にではなく、自分を契約社員として雇っている会社にでもなく、生きていること自体に吐き気がしてくる。』そんな時、「世界一周163万円」のポスターがナガセの目に入る。163万円はナガセの年間の手取りと同じ額だった。

B.     夫と離婚したりつ子の社会復帰

ナガセの同級生であるりつ子は、元夫と離婚したことをきっかけに、まだ幼い娘の恵奈と共にナガセの元へ転がり込む。同居していたナガセの母が恵奈と打ち解けたこともあり、りつ子はナガセの家を社会復帰や元夫との話し合いを進める拠点とした。りつ子は結婚する時に元夫と貯金を合算してしまい、手元にほとんどお金がなかった。そんなりつ子にナガセは反射的にお金を貸すが、手帳の収支メモに記入したマイナスの数値に、どこか憂鬱になるのだった。

 

2.   感想

言葉を選ばずに言うと、ナガセの生活は「終わっている」。そこに憧れを感じることはない。派遣やパートをいくつも掛け持ちし、忙しなく働き続ける毎日。学生や若者が夢見る暮らしとは程遠いだろう。

しかし、その希望のない日々の責任が、ナガセ自身にあるとは思えない。内向的ではあるものの、彼女の言葉遣いや物事の捉え方は、ごく一般的な、自然なもののように読める。

問題は社会にあるのではないだろうか。ナガセの主な収入源は工場でのライン作業である。決して楽とは言えない労働の対価として得られるのは、電車の往復運賃さえも憂鬱になるような金額だ。大きなパイを少数で分け、小さなパイを多数で分ける。そういった、社会の分配システムの問題点が、ナガセの生活を垣間見る読者の視点から浮かんで見えるように思えた。

 

『維持して、それからどうなるんやろうなぁ。わたしなんかが、生活を維持して。』

物語の中でナガセの心に浮かぶ言葉である。私の心に響いた言葉であり、きっと誰かにとっても同様だろう。

うまくいかないことがあったり、先行きの見えない将来に不安を覚えると、毛布にくるまる。ゼロからやり直したいなぁ、ぜんぶ鬱陶しいなぁ、もう何も考えたくないなぁ、と思案するうちにやがて「死にたいなぁ」に辿りついてしまうことが、ある。

しかし、それがおかしなことではなく、誰しもそうなってしまう可能性があることを、ナガセの言葉に確認した。もちろんナガセはフィクションの人物だが、ナガセの先にはこの物語を生み出した津村記久子さんが実在している。

やるせない思いを持つ人が私の他にもいる。それを知ることが、直接的に私たちを救うことはない。しかし、やるせなさと向き合う気力を保つ上で、大切なことではないだろうか。

カルチャーしか勝たん

 

台所の排水口を掃除している時に手を滑らして、危うくティースプーンを排水口の底へと落としそうになった。慎重にスプーンを避けながらふと排水口を覗いてみると、見覚えのないフォークが深くに沈んでいることにその時初めて気がついた。おそらく前の住人が落としたものだろう。この部屋で生活をしてもうじき3年になる。住み慣れた部屋だと思っていたけど、未だに知らない姿があるもんだな。

 

 

 

年末には大阪の実家に帰省するつもりだ。彦根を出ていく時も彦根に戻る時もJRの在来線を使う。

初めて彦根に来た時は車窓からの眺めに興味を持てなかった。何しろ全部が同じ風景に見える。田んぼと道路と建物。そうは言っても車内での過ごし方なんて限られているし、結局は音楽を聴きながら何とはなしに窓に目をやる。けれど彦根も稲枝も近江八幡野洲も、名前が違うだけで地続きに同じ景色が広がっているように見えた。

3年経ってようやく彦根と南彦根あたりは見分けがつくようになった。あれは県大だな、とか、あそこの道路ってこの前道に迷った末にたどり着いた道路だよな、とか、景色と記憶が結びついていく。県外から来る友達が口を揃えて「田んぼばっかりでなんもなかった」と言う眺めの中に、だんだん『何かある』ようになってきた。土地勘がつく、ってヤツか。

それでも散歩中にいつもと違う路地を曲がると全然知らないお店や建物に出会う。この道ってこの道と繋がってたんや!っていう発見がまだまだ出てくる。一つの町に馴染みを持つためには、5年はそこに住む必要があるんじゃないだろうか。私が死ぬまであと60年ぐらい。残りの12の町はどこにしようかな。

 

 

 

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気が進まなくて敬遠してた読書も表紙を開くと一瞬で、図書館で借りた本を授業のスキマに一息に読んでその日のうちに返却した。私は「気分じゃない」という理由で好きなものを遠ざけることがよくあるのだけど、ひょいっとその壁を乗り越えてしまうと「気分じゃない」気分がどんなものだったかも忘れてしまってケロっと元に戻る便利な脳みそ。違和感もモヤモヤも、ちゃんと向き合わなくたって結局は時間が解決してくれるのだ。それでも向き合いたいから、もがきながらも考えていたいからエネルギーを使うけどさ。

初めて読んだ作家さんだけど面白かった。一人の男とその不倫相手の女性二人の共同生活。登場人物たち三人の普通じゃない生活がやっと当たり前に溶け込んだところから物語は始まって、でもやっぱり普通じゃないから少しずつズレが生じていく、というお話。見かける機会があれば是非。

 

 

 

カルチャーがいつも、ずっと、私の側に寄り添ってくれている。音楽やマンガ、小説、ゲーム、ときどきアニメと映画。心の豊かさを保つにはなくてはならないものたち。急に好きになったり急に嫌いになったりしてもいい。そういう完全一方通行の関係に何度助けられたことか。私がそっぽを向いてる時は向こうも知らんぷりしてるし、逆に私がアプローチをした時は常に受け入れてくれる。実に都合が良い。

そういったカルチャーの作り手に憧れを持っている。誰かがうんと時間をかけて作ったものたちには必ずその人たちの人柄やメッセージが反映されるし、それらに心を鷲掴みされるのはとても心地がいい。音楽が頭から離れなくなったり、マンガのセリフを繰り返し反芻したり、ベッドの中でゲームをしたり。そんな自分を見つけるたびにクリエイターを尊敬した。いや、憧れや尊敬だけじゃない。いつか自分にもできないだろうか。自分の言葉や行動で誰かの心を掴んだり共感を引き起こしたりできないだろうか。本当はそんなことを考えている。

このまま漠然と生きてていいのかなぁ。 欲しいものがあったらちゃんと手を伸ばすべきなんじゃないだろうか。いつかできたらいいな、の「いつか」は果たして訪れるのだろうか。腹を括って文章を書くなり、音楽を作るなり、自分の好きなものと本気で向き合った方がいいんじゃないだろうか。『気が向いた時に気が向いた分だけ』という今の私の各カルチャーとの接し方は、確かに私の興味を全方向へ、ぐんぐんとストレスなく伸ばしてくれているが…この道の先には何かあるのだろうか。

 

 

 

順調に更新していたブログが8月以降ぱったりと止まってしまった。下書きでいくつか書いているものはあるのだが、書き出しは上手くいくものの、書いているうちに段々文章が翳りを帯び始めて記事の終わり頃には全体が重たい印象になってしまうことが多かった。文字数の少ない記事ならすっきりしたものを書ける気がする。試行錯誤の意味でも、これから少しの間は短い記事を短いスパンで更新するスタイルにしてみようと思う。オチの弱い日記が増えそうだなぁ。

 

 

 

揺らぐことのない安心が欲しい

 

気がついたら7月が終わっていた。いつもとは違う社会の情勢が時の流れの感じ方まで加速させているのか、それとも元々これぐらいの速さだったか。どっちだったっけな。

7月は雨が多かった。どうやら梅雨が長引いているらしい。聞くところに拠ると、観測史上初めて台風がゼロだったとか。"2020年” は遺憾無く自らの個性を発揮している。他の年と同じ、でも別に悪いことはないと思うんだけど、やっぱりキリの良い数字だから気合入ってんのかな。次にこの揃い方になるのは3030年、1010年後だもんな。

 

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雨が多いから、という訳ではないが、最近はこんな本を読んでいる。

「雨の自然誌」。大学の図書館で物色している時に、装丁に目を惹かれて手に取った。私が一番好きな青はポカリスエットの青なのだが、この本の青もなかなか悪くない。

雨にまつわるあらゆる逸話がこの一冊に詰め込まれている。逆に、雨と面識が無い文章たちはこの本の中に入れないらしい。その徹底された門前払いっぷりが面白くて、レポートの課題図書の合間を縫って読んでいる。

 

ブラッドベリはただ雨が好きだったのだ。雨は、お気に入りのウールのセーターのように、彼の憂鬱な気分に似合った。《中略》ブラッドベリは夕立に降られて気にする事はなかった。そして八〇年にわたって日々執筆をつづけるなかで、タイプライターのキーからポツンポツンと打たれる雨だれは、数多くの短編になり、本となっていった。』

 

冒頭の一節である。この如何にも翻訳書らしい、外国語っぽい言い回しがいいよね。読み切るのにもう少し時間がかかりそうだけど、楽しみな読書の一つだ。

 

 

 

特別に落ち込むことなく生活している。きちんと3食たべない日が多いし、将棋部のことは嫌いになったけど、そのぶん読書や散歩が私の生活を支えてくれている。多趣味でよかった。

ただ、時々安心感が欲しいと思ってしまう。ここにいてもいいと思える安心感。自分の体を全部預けてしまっていいと思える安心感。そういう揺らぐことのない安心感に縋りたいと思ってしまう。欲しいなら欲しいと手を伸ばせばいいのに、誰かが持ってきてくれる奇跡を待っている私がいる。そういうのはあまりにも都合がいいし、ずるいな。

 

 

 

バイト先とのコミュニケーションがあまり上手くいっていない気がする。

アルバイトのボランティア的な意識に訴えかける傾向が強くなってきた気がしていて、たぶん私はそこに違和感を覚えている。短期的に、応急処置のように、アルバイトの業務範囲が広がってしまうのは仕方が無いと思う。でも、それが前提になってしまうのは長期的に見て良くないのではないか。

だからあまりタスク(仕事と呼ぶほどのものではない)を引き受け過ぎないようにしているのだけれど、もう少し自発的に動いてほしいらしい。いっそ全部の業務を抱え込んでしまった方が早いんじゃないかと思うこともあるけど、たぶん私はそういうことをしようとすると過度に自分の生活を犠牲にしてしまう。

 

 

 

私の感覚が間違っているのかもしれない。けれど、確かにすれ違っていると思う。そしてその原因の一つは、私が言葉にしていないからだろう。私の気持ちを汲み取ってくれることを期待しているからだろう。その期待が叶わないとわかったなら、私がすることは一つ、ちゃんと言葉にして伝えることだ。バイト先にも、将棋部にも。8月はそういう月にできたらいいな。

 

 

 

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セブンのドーナツおいしいね

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逆転裁判たのしいね



 

 

 

  

窓を開けて寝ることが多いので、雨の音で目を覚ます日がままあった。雨の音は、屋外で耳にすると鬱陶しく思うのだけれど、屋内で聴くと何故だか落ち着く。ベランダに干したバスタオルを取り込んでから、再びベッドで横になる。サァーッ…という広がりを持った響きに目を閉じると、束の間の安心を感じることができた。

 

 

 

 

板チョコと読書と中村佳穂

 

ベットで仰向けになってパルムを食べる。重力の影響で、バニラアイスが食道に擦り付けられながら溶けていく。

一人暮らしの良いところは、箱買いしたパルムを6本全部自分で食べられる事だ。他の全ては、悪いところだ。

 

 

最近好んで板チョコを買うようになった。

チョコレートを買う時に最も費用対効果が高くなるのは、アルファベットチョコレートのような、デカ袋+個包装スタイルのチョコレートだろう。そんな事は私も重々承知である。ではなぜ、お世辞にもコスパが良いとは言えない板チョコを買うのか。どうやら私は、板チョコが好きなのではなく、板チョコを買うのが好きなようだ。

元を辿れば、チャーリーとチョコレート工場の秘密に起因するのではないか。そう、あの黄金のチケット。天文学的な確率で板チョコに封入されている、チョコレート工場行きの輝かしいチケット。あれをチャーリーが手にするシーンは正に幸せの象徴だった。「人が報われるシーン」として、子供心に響いた。この記憶のおかげで、きっと今の私は、板チョコを買う時にときめきを感じられるんだろう。

父の勧めもあって、ロアルド・ダールの本はたくさん読んだ。「チョコレート工場の秘密」ももちろん読んだし、とりわけ好きだったのは、「こちらゆかいな窓ふき会社」や、「すばらしき父さん狐」だ。挿絵や装丁がおしゃれで、小学生ながらイケてる読書をしてるなぁ俺は、と我ながら感心したもんだ。

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最近の読書はと言うと、レポートのためにこんな物を読んでいる。

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 重い。重すぎる。

まず内容が難しい。久しぶりに補助線を引きながら本を読んでいる。それでも一日20ページ読むのがやっとだ。

正直言って、この本を手に取るのが億劫になっている。今も、この本の読書に充てるつもりだった時間を使って、このブログを書いている。楽な事だけして生きていたい。

 

 

 

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 打って変わって楽しかった読書を。

いやぁ、本屋大賞の1位と最下位はマジで信頼できるね。夢中になって1日で読んじゃった。この本のレポートならいくらでも喜んで書くのに。雨の季節に読めたのもよかった。

好きな本を読むと、生活に影響が出る。気持ちが極端に晴れやかになったり沈んだりする。この本は後者でした。

 

 

 

今の一番の楽しみは中村佳穂の新曲だ。確か、「アイミル」とかいう題名だったはず。発表はもうそろそろだと思うんだけどな。毎週水曜日を迎える度にちょっとドキドキする。


imai / Fly feat.79,中村佳穂

中村佳穂がコーラスで参加してる曲の、一気に空気を変える歌声が好き。もうたくさん、なーんて言っちゃってね。

 

 

ジブリもそろそろ見に行かないとなぁ。もののけ姫は血の表現が多そうだから避けてたんだけど、どうしようか。千と千尋は絶対見に行く。

目の前の生活と戦いながら、際限の無い社会問題を考える

 

社会問題について自らの意見を表明する人が、私のアンテナの届く範囲で増えている。

同世代の友人も、私が好きなミュージシャンも、SNS等を通して社会問題に言及しているのが、最近よく目に付く。著名人の政治的発言の増加は、私以外にも感じている人が多いのではないだろうか。終いには、「著名人が政治的発言をするのはアリか?ナシか?」なんて事まで議論に挙がる次第だ。ナシなわけねーだろ。

やはり、こういった傾向の変化は、新型コロナウイルスの流行をきっかけとして起こったと思う。

政権への不信感など、それまで「社会の」問題として遠くにあると思っていたものが、自らの生活にも影響を及ぼすようになった。社会問題を考えるきっかけとしては、十分だろう。かくいう私も、新型コロナウイルスの流行を境として、それまでよりも積極的に情報を集めるようになった。

 

 

ただ、実際に社会問題について調べ、考えようとしてみると、その難しさを痛感する。もちろんそれは、内容の難しさ・答えの無い問いの難しさでもある。しかし、私が最も困難であると感じる要因は、内容的なものではなく、日々絶えること無くやってくる生活の中でそれを考えないといけない、「時間的な難しさ」である。

 

私たちは、検事長の定年延長について考える時、大抵の場合は、今日の晩ごはんの献立にも同時に思いを巡らせないといけない。白人警官が黒人男性を圧迫死させた事件について調べている間も、大学の課題の締め切りは刻一刻と迫ってくる。将来どこに就職して、どうやって生きていくのか不安になりながら、エコバッグを提げて地球に優しく買い物をする。

目の前の生活を生きる事って、本当にエネルギーを使う。そこに社会問題が入り込むスキマなんて、本来存在しないのだ。じゃあ、意見を発信しているあの人たちは、どうやって社会問題について考えているのか。ねじ込むのだ。生活に無理矢理スキマをこじ開けて、そこに詰め込む。きっと、それしかないんじゃないだろうか。

 

いやいや違いますよ、と。私たちは社会に属していて、社会問題の延長線上には必ず私たちの生活があるから、社会に不都合が生じたら必然的にそれについて生活の中で考えるようになるんですよ、と。そんな風に主張する人がいるかもしれない。

一理ある。しかし、検事長の定年延長と、私の普段の生活とを、一体どうやって結びつけると言うのか。少なくとも私には、その2つを関連づける事ができない。法律には私たちの生活を縛る絶大な力がある。頭ではわかるが、だからと言って、この問題を普段の生活の流れの中で自然に考えるなんて、絶対に無理だ。ちょっと気合を入れてネットサーフィンを始める必要がある。『生活に無理矢理スキマをこじ開ける』と表現せざるを得ない。

 

また、社会に広がる問題には、際限が無い。当たり前だが、その全てを把握し、考えを深めるというのは不可能である。しかし、私たちは社会に属し、様々な人と接する以上、できるだけ多くの社会問題について考える必要に迫られる。なぜなら、どの問題に重きを置いているかは人によって違うからだ。自分にとって大きな問題となっている事が、相手にとっても大きな問題であるとは限らないし、逆もまた然り。私たちは、限られた時間の中で、限りの無い問題について考えないといけないのだ。

 

以上を踏まえるに、やはり、実際に社会問題について考えて自分の意見をまとめるのは、『時間的な難しさ』を備えている。難しいどころか、遂行するのはほぼほぼ無理なんじゃねーか、とも思う。

 

 

 

だからこそ、私は社会問題について自らの意見を表明してくれる友人に感謝している。あなたたちのおかげで、私はそれらの問題を身近に感じる事ができる。

「あいつ、こんな事考えてたんだ」と感じられる事が、どれほどそれらの社会問題と自分との距離を縮めてくれるか。明け方の綺麗な空の写真や、最近見た映画の感想と、全く同じように発信されるそれらの意見が、私の生活にどれほど溶け込んでくれるか。あなたが『生活に無理矢理スキマをこじ開けて』考えてくれた事は、どんなニュースよりも、どんな著名人のつぶやきよりも、確かに私に影響を与えている。本当にありがとう。

 

勘違いしないでほしいが、私は、今まで社会問題について考えていなかった人や、これからも考える事ができない人を責めるつもりはない。上述したように、目の前の生活と戦いながら、際限の無い社会問題を考える事の難しさは、しっかり認識しているつもりだ。

私が言いたいのは、これらを理由にして、意見を表明している人をうとましく思うのはやめてほしい、という事だ。十分に考えを深める事ができていない自分に負い目を感じたり、自虐的になるのは構わない。けれど、その負い目が行き過ぎて、「意見を表明すること」自体をうとましく思ったりしないでほしい。そんな風になっちゃいけない、なるべきではない、と思う。

もし、この傾向がある人がいるなら、今一度、立ち止まって考えてみてほしい。繰り返しになるが、社会問題について考えられないことは、仕方ない事だと私は考えている。どうか、私の友人にとって、「意見を発信しにくい」状況が生まれませんように。

 

 

 

ちなみに、今の私の興味は環境問題、特にペットボトルの利用にある。

ペットボトルのリサイクルにかかる費用が、新品のペットボトルを作る時にかかる費用よりもかなり高いってみんな知ってた?そんなんリサイクルするよりも新品のペットボトル作った方がええやん!業者はわざわざリサイクルせずに新品作っちゃうやん!っていう。大学の授業で聞くまで知らなかったよ俺は。

じゃあペットボトルの飲み物を買う頻度減らした方がいいのかな?でもオランジーナうまいしな。スウェーデンやと既にペットボトルにデポジット制度が適用されてんのか。けど日本で今からデポジット制度を導入しようと思った時にかかるコストも無視できんくて…。ふむふむ…。

みたいな風に、やっぱり際限は無い。でも、この事もどこかで折り合いをつけて、まとめられたらいいな。

 

 

この文章も、誰かにとってのきっかけになる事を願う。

好きなマンガについて語ろうか ①

 

好きなマンガ、今まで読んだ中で印象に残っているマンガについて語ろう。

ネタバレはもちろんあると思うのでご注意を。

 

1. バクマン。

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全20巻。「僕のマンガがアニメになったらヒロインの声優をしてください。そしてその夢が叶ったら結婚してください。」叔父がマンガ家で絵の上手い真城と学年一の秀才である高木の同級生2人がコンビを組んでマンガ家を目指す。仲間やライバルと切磋琢磨して夢の実現を目指すサクセスストーリー。

 

記憶にある限りで初めて全巻揃えたマンガ。集め始めたのは小学校5年生の時。この2人がデスノートを生み出したゴールデンコンビだと知ったのは随分後になってからだ。

それまでの私にとっての「マンガ」のイメージは、専らNARUTOをベースとしたバトルもの。そんな私にはこういった現実世界の話は新鮮だった。特に4巻や10巻辺りの歯車が上手く回り出していく展開がすごく好きで、その辺は何度も読み返した。

恋愛要素が一つの軸になっているマンガもバクマン。が初めてだったと思う。キュンキュンしたなぁ。

 

 

 

2. enigme [エニグマ]

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全7巻。少し先の未来が日記に記される「夢日記」という超能力を持つ灰葉スミオは、ある日突然、「enigme [エニグマ]」と名乗る謎の存在によって7人の生徒と共に学校に幽閉される。「72時間以内に校舎から脱出せよ。一般人には困難だが、君たちなら可能だ。…ユニークな才能を持った君たちなら。」果たしてエニグマの目的とは?そしてスミオたちの運命や如何に…!

 

バクマン。を集め始めてから他のジャンプ作品にも興味を持つようになり、バクマン。と同時期に追いかけていたマンガ。当時は脱出系のマンガが異様に流行っていた。そしてこのマンガも他の脱出系のマンガと同じように、脱出してから急激に面白くなくなり打ち切りとなった。

脱出するまで(5巻まで)は当時は結構楽しめたし、「みんなは一体どんな超能力を持っているんだ…?」とワクワクしながら読んだ。私が一番好きな能力は三次減算である。

約束のネバーランドとか好きな人はこれも好きじゃなかろうか。もっとも、今読み返すと「うーん…」となる部分も多いのだが。



 

 

3.PSYRENーサイレンー

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 全16巻。「助けて。」そう言葉を残し雨宮桜子は姿を消した。夜科アゲハは彼女を探すために、連続神隠し失踪事件に関わる都市伝説「秘密結社サイレン」へとアクセスする。そしてアゲハは桜子と共にデスゲームに巻き込まれるのだった。

 

enigmeと関連して同じくジャンプの超能力モノを一つ。このマンガは近所の図書館に全巻揃っていて、図書館に行った時はいつも読み返していた。

やっぱり能力系バトルは妄想が捗るというか、自分にもしこんな能力があれば…と考えるのがやめられなかった。マテリアル・ハイとかマジでカッコ良かったもんなぁ。一番好きなのは「数秒先の死の脅威が見える」能力かなぁ。

ジャンプの能力系バトルマンガというとやはりハンター×ハンタージョジョの2大巨塔がそびえ建っているが、個人的にはこのPSYRENも外せないマンガである。かっこいいは正義。

 

 

 

 

4.惡の華

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 全11巻。ボードレール惡の華」をこよなく愛する、パッとしない中学生の春日高男。彼は、クラスのマドンナであり自らも想いを寄せる佐伯奈々子の体操着を、思わず盗んでしまう。誰にも言えない自らの罪。あろう事か、その一部始終をクラスの嫌われ者である中村佐和に見られていた。バラされたくない春日に彼女が持ちかけた”契約”とは…?

 

ベボベのこいちゃんがおすすめしていて読んでみたマンガ。中学生の頃に集めていたのだけど、表紙が表紙だから本屋さんでレジに持っていくのが恥ずかしかった。確かハンター×ハンターと一緒に買ってカモフラージュしていたと思う。

内容に関しては、思春期の葛藤やモヤモヤに焦点を当てた話。今読み返してもよくわからない部分も多く、当時は面白いのか面白くないのかわからないまま、理解できないなりに完結を見届けねばならないと思い、読んでいた。女の子の体操着に惹かれ、一種の興奮を感じるという性癖は私にはわからない。しかし、正直言って、性的な描写に惹かれて集めていた部分もあったと思う。

また、このマンガの真骨頂は第2部にあると思う。表現・描写の難解さは増すのだけれど、それでも自分の心に何か訴えかけてくるものがあった。やはり、最後まで追いかけて正解だった。

 

 

 

 

5.服を着るならこんなふうに

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 全10巻(現在連載中)。佐藤祐介。25歳。会社員。仕事は上手くいき、社会人としての佐藤の生活は順風満帆だった。ただし、そんな彼が唯一苦手だったものが”おしゃれ”。自分のセンスには自信が無いし、明確なルールが無い”ファッション"の世界とどう向き合えばいいのか、途方に暮れてしまう。そんな佐藤に、妹の環がコーディネイトのイロハを教えていく。「どんな人間にとっても一番大事なのは服じゃない。なのにそんな事に足を引っ張られて楽しめないなんて絶対損だよ。」

 

打って変わって最近のマンガを。服を着るならこんなふうに、通称「服着る」は、メンズ向けファッションという一風変わったジャンルのマンガである。このマンガの凄いところは、その読みやすさにある。ファッションの話題、というと少し身構えてしまうような敷居の高さがあるのだが、マンガというメディア形式を介して上手くそのハードルを下げていると思う。

全体的に、「理論的にはこうすればカッコよくなるけど、あんまり縛られ過ぎないで、自分らしさも大切にね!」というスタンスなのもいい。知識系のマンガだが、説教臭さが無いのだ。

ファッションには興味があるけど、雑誌を読んだりWEARアプリを見たりする気にはとてもなれない。そんな私にこのマンガはぴったりだった。自分にファッションセンスがあるとは思わないけど、「センスが無くても楽しんでいい」と、「服着る」が私に気づかせてくれた。

それと、絵もかなり好きだ。特にキャラの表情が良くて、環ちゃんが可愛い。

 

 

 

 

6.春と盆暗

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短編集。愛想が良いサヤマさんに惹かれて同じバイト先に入ったゴトウ。掴み所の無い彼女に彼はますます惹かれていくが…。「モヤモヤした時は月面を思い浮かべて、そこに思いっきり、道路標識を放り投げるんです。」(『月面と眼窩』より)

 

今回一番紹介したかったのはこれ。これなんです。今の私のとっておき。

やっぱりね。恋バナって楽しいんですよ。ニヤニヤしちゃう。たとえフィクションであっても。出てくる女の子がみんな掴み所がなくて、魅力的なんですよ。上の表紙もちゃんと見てください。この子から溢れる魅力。ちゃんと感じてください。

このマンガで描写されているのは全て男女の恋愛なのだけれど、男性陣はというとみんな真面目で、女性陣の引き立て役に回ってる感がある。良いと思います。

クリエイターにはやっぱり才能っていうのがあるもんで、しかもそれがちゃんと作品に表れるようになってるんだなぁ、と関心した。熊倉 献。この人は絶対に追いかける。

 

 

 

 

7.水は海に向かって流れる

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全2巻(現在連載中)。あらすじは上手くまとめられないので割愛。

 

最後にこれまた最近のマンガを。この作者さんもまた、ユーモアに富んでいる。ユーモアっていうのは単純に面白いって事ではなく、ある事象、このマンガでいうと「W不倫した親を持つOLと男子高校生」っていう題材があった時に、それを如何に表現・描写するかって事だと思うんですよ。

何というか、存分に色が出てるんですよ。この人の。やりたい放題やっているというか。そういう作者の人柄みたいなものを浴びる事ができる作品、私は好きです。

 

 

 

 

以上。今回はこんな所で。

良かったら読んでみて欲しいし、好きな物があったら一緒に語ろう。みんなのおすすめも教えてくれよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

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初めて会ったネパール人の賃貸物件探し in 京都に付き合った話 (中編)

 

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私、サントスさん、アユスさんは3人で一直線になってカウンターに腰掛けていた。目の前にあるは豚骨ラーメン。JR京都駅前の地下街、一風堂で我々は昼食を食べていた。「ラーメンは何味が好きですか?豚骨ラーメン食べたことあります?」と尋ねると、「豚骨は博多でよく食べました。」と返ってきた。そういえば今まで福岡にいたんだった。別のモノにした方が良かったかな。

 

3人が望んでいる物件の条件はこうだ。

・予算は初期費用で25万円

・3人で住むので2DKは欲しい

・大学まで徒歩15分圏内が良い

・できるだけ早く、明日からにでも住みたい

 

前日の夜、これらの条件を元に軽く京都駅周辺の物件をリサーチしていたのだが、かなり厳しい条件である印象だった。まず、2DKの部屋を借りるのに予算が25万円というのは些か心許ない。35万あればいくつかの選択肢から選べそうで、少なくとも30万は欲しかった。次に、時期が遅い。我々が京都へ赴いたのは3月25日。大学周辺の良物件はとっくの昔に他の学生に押さえられていそうだ。そしてネパール人3人でのルームシェア。これがどのくらいマイナス要因として作用するのか。

まあ手持ちのカードを眺めて嘆いてばかりいても仕方がない。この条件でできる限りの勝負を、あとは現地でどうにかなるだろう。そんな風に楽観視していた自分がいたかもしれない。

けれど、やはり現実はそう甘くなかったようだ。麺を啜りながら、私は先刻の不動産屋でのやりとりを思い出した。

 

 

 

 

 

 「ああー…えーっと…実は今日は来てないんですけどもう一人ネパールの方がいて、3人で住みたいんですけど…」

 

そう答えた時、担当者の方が半笑いになった。それは嘲るような笑いではなく、手の施しようが無い状況に思わず笑っちゃった、という感じで好感が持てた。

「3人…フフッ…3人ですか……3人…で2DKのお部屋のルームシェアというとまず大家さんにツッコまれるかもしれませんね。『3人で住むには狭過ぎるんじゃないか』って。」

 

うーん、やっぱりそうなのか。大家さんからすれば何人住もうが入ってくるお金は一緒である。ならば、住む人が増えるというのは、ただ騒音や問題行動のリスクを上げるだけのマイナス要因なのだ。

その後も物件をいくつか探してくれたが、ほとんどの大家さんがネパール人&3人でのルームシェアを嫌がるようだった。やっとこちらに提案されたものは、予算を大幅に超えていたり、大学からかなり遠い場所にあるものだった。

 

「そういえば3人で別々に住むっていう選択肢はないんですか?」私はサントスさんとアユスさんに尋ねた。「ええ〜…『3人で一緒に住もうね』って福岡で約束して楽しみにしてたから3人一緒がいいですネ。」うるせえええええそんな事言ってると住む家が無いんじゃああああああと言いたい気持ちをグッと堪えて「そうですか…。」と返した。

結局その不動産屋には1時間ほど滞在していたが、収穫はゼロだった。帰り際に「何が一番厳しい制約になってそうですか?」と担当の方に聞くと、「やはり外国の方というので敬遠される大家さんは多いですね…」との事だった。むぅ。そういうもんか。我々3人はガックリと肩を落として店を後にした。

 

 

 

 

 

さて、豚骨ラーメンを食べ終えた私たちは再び京都の街へ繰り出した。このまま何の成果も無く彦根に帰るわけにはいかない。それに何しろこの2人には現在帰る場所が無い(!?)。無計画にも程があるが、彼らは住む場所が決まっていないまま福岡を飛び出している。今は彦根の店長のアパートに転がり込んでいる。クリスナさんも含めて大人3人で、だ。流石にそう長くは居られないだろう。せめて4月からは住める場所を見つけなければ。っていうかもっと早く京都に来て物件探せよ。普通2月とかに一度来るだろ、何だよ3月末って。

ただし、アテがあるわけでもないので手当たり次第、不動産屋に突撃するしかない。京都駅周辺には無数に不動産屋がある。その中から次に我々3人が訪れたのはエリッツ京都駅前店だった。

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ここを選んだ理由など無い。ただ、進行方向にあって、偶々目についたから入ってみただけだ。しかし、今思えばこれも運命の悪戯だったのかもしれない。

 

担当してくれた方はかなり若く見えた。20代半ばといった所だろうか。目が細く、顔つきは若き頃の野田洋次郎に似ていた。クルッと巻いた毛先はおそらく天然パーマだろう。

席に着くや否や、私は探している物件の詳細を述べた。今度は3人でルームシェアをする事も初めから伝えた。いずれ伝える事になるのだ。隠していても仕方ない。

天パ洋次郎はあまり動じた素振りを見せずに、条件に合う物件を探し始める。午前中に他の不動産屋で紹介された物件を教えてくれ、と言われた。時間の無駄になるからそこは選択肢から省くようにする、との事だ。この人の人柄を表すには、冷静という言葉が最も合う気がした。表情を無理に取り繕うような事はせず、サバサバと対応をする。目標までの最短の道のりを迷う事なく進む。合理的な思考は時に人から嫌われる要因になってしまうが、この人からは不思議と嫌な感じがしなかった。それはおそらく、この人が合理性を自らを飾る・自らを大きく見せるための鎧としては使っていないからだろう。

 

私たちは何度かラリーを繰り返した。天パ洋次郎が物件を提案し、私たちが吟味する。予算に合わなかったり、大学から遠すぎたり、入居が5月からだったりといった理由で、サントスさんとアユスさんはなかなか首を縦に振らない。すると、再び天パ洋次郎が別の物件を探し始める。液晶画面に向かい、決められた制約の中で物件を探す彼のその様は、まるでパズルを解いているようだった。決して表情には表れなかったが、どこか楽しんでいるようにも伺えた。その後もラリーが続いたが、成果には結びつかない。しかし、その回数と速度は午前中に訪れた不動産屋を悠に上回った。

そして、幾度と無いラリーの果てに遂に辿り着いた一つの物件。家賃6万7千円。2LDK。大学から徒歩20分。4月から入居できる。外国人OK。3人でのルームシェアも…おそらくOK。

これ以上無い物件に思えた。サントスさんとアユスさんも満足しているようだった。時刻は午後2時を回っている。私たちはこの日初めて内見に向かうことができた。何とか見通しが立った事に私は安堵した。

 

目的のアパートへ車で向かう道すがら、天パ洋次郎と会話を交わす。

「実は前にもネパール人の方に物件を紹介した事があって。その人とは今も交流があるんですけど、それ以来その人伝いに多くの外国人が訪れてくれるようになったんですよね。だから私にとってはあまり珍しい事では無いんです。外国の方に、特にネパールの方に物件を紹介するのは。」

へええ。そりゃまた奇妙な巡り合わせだ。なるほど、動じた様子が見られなかったのはそれが理由か。さらに、良ければ周辺でのアルバイトを友人伝いに紹介してもらおうか?と提案までしてくれた。

話を聞いたサントスさんとアユスさんは嬉しそうだった。不安定だった自分たちの4月からの生活にトントン拍子で目処が立っていく。前日に私と出会った事。偶然、私が物件探しに付き合っても良いと思える精神状態だった事。偶々入った店に、偶々ネパール人に理解のある方がいた事。時間はかかったが、ここしか無いという物件が見つかった事。サントスさんとアユスさん、2人の歯車が上手く回り始めたように見えた。

 

そして、目的地に着いた。「今から大家さんに挨拶するので、2人とも印象良く振る舞ってくださいね。」天パ洋次郎が2人に声をかける。外国人OKとはいうものの、実際にどんな人なのかはやはり重要だろう。

大家さんは温厚そうなおばあさんだった。70歳ぐらいだろうか。白髪交じりで、身長はサントスさんの半分とちょっと。いくつか会話をすると、笑顔も見えた。どうやら2人の印象は悪くなかったようだ。

 

「今ここにいる2人ともう1人、今日は来ていないネパールの方が住まれるんですけど大丈夫ですよね?」天パ洋次郎が尋ねる。上手い聞き方だ。3人でのルームシェアは当たり前にOKでしょ?というスタンスで問いかける事で、断りづらい空気を作る。ましてやこんなおばあさんが困ってるネパール人2人を前にして断れるわけがな

 

 

「いや、ウチは3人は無理ですよ。」

 

 

 

 

 

 

 

え?

 

 

 

 

 

 

 

「ウチは3人っていうのはちょっと駄目ですね…契約書にも書いてたんじゃないかしら。第一、3人で住むには狭過ぎるでしょ?笑」

 

 

 

 

 

 

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一行は部屋に足を踏み入れる事なくその場を後にした。

サントスさんとアユスさん、2人の歯車の動きが、再び私には見えなくなってしまった。

 

 

次回:そのうち更新

 

 

 

 

 

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