こたつモラトリアム

できることなら永遠にここで暖をとっていたい

歩道を歩く歩行者、車道を走る自動車

私の実家には最寄り駅が存在しなかった。

「近くの駅」と呼べるものは3つ4つあったが、そのどれもが自転車で20分ほどかかる位置にあった。このことと私の自転車を漕ぐ速度が遅いこととの因果関係は現在調査中である。

 20分というのはすばらしい時間だ。

20分あれば何かについて考えることができるし、20分しかなければ何も考えないでいられる。まさにちょうどいい。そんな毎朝・毎晩の20分により私の思考の約60%が賄われていたといっても過言ではない。

 

 従って、思考の約6割が自転車の上で行われたので自転車について考える時間が多くなるのは必然であり、このブログの記念すべき第1回目の記事が自転車についての記事になることにも異論の挟みようがないのである。

 

 

 

2015年の道路交通法改正により、「自転車は車道を走れ」の考え方が社会にかなり浸透したように思う。遂にはスマホを操作しながらの自転車運転によって死傷者が出るような事故も発生し、自転車に対するストレスはもりもりと膨れ上がっている。

 

 ある日の話。私は自転車を漕いでいた。細めの歩道を走っていた。前におばあさんがいたのでベルを鳴らした。チリーンチリーン、すいませーん通りますよー、という感じで。

おばあさんはこちらを振り返った。少し端に避けて道を譲ってくれるものだと思っていた。しかしおばあさんの顔は曇っていた。「歩道を走ったら駄目でしょ。」という言葉と共に少し小言のような、説教のようなものを頂いた。

あれ以来私の自転車のベルは鳴っていない。

 

改正後の道路交通法には以下のようなことが書かれてある(意訳)。

・自転車が歩道を走るのは原則禁止

・自転車がベルを鳴らすのは原則禁止

他にもあるが今回はこの2つに注目したい。

 

「ある日」が2015年の前だったか後だったかは忘れたが、仮に後だったとすると10:0で私が悪い。歩道も走っていたしベルも鳴らした。正義はおばあさん側にある。にもかかわらず私は正直言って「ある日」に対して不快感と違和感を覚えている。現在までこれを記憶しているほどだ。なぜ自分はこんな人間になってしまったのか。「ある日」についてもう少し掘り下げてみよう。

 

「歩道を走るのは原則禁止」とあるが原則とはいったい何なのか。原則が適用されない場合、すなはち歩道を走ってもよい場合のひとつに「交通状況からやむを得ない場合(意訳)」が挙げられている。

歩道が狭い場所では大抵車道も狭い。「ある日」の場合も例に漏れず、車道にバイクや自転車の走る十分なスペースが存在していなかった。故に歩道を走っていたことに関してはおそらく私はそれほど反省しなくてよいだろう。「ある日」は原則の支配が及ばない領域にある気がする。

実際のところみんなはどれくらい自転車で歩道を走るのだろう。私の場合もちろん車道を走れそうなら走るしできるだけそんな道を通るようにはするが、それでも30%ぐらいは歩道を走る。後ろからバイクが来てるから追い抜いてもらうためにちょっと歩道に上がろう、とかそんなんだ。

要するに車道を走るのが怖いためにこの30%は発生するのだが、先述のとおり車道が狭い場所は大抵歩道も狭い。そういった狭い歩道を自転車が走ったりすると、たとえ短い時間であっても歩行者の自転車に対する印象はあまり良くないのだろうな、と思う。

 

「ベルを鳴らすのは原則禁止」についてはどうだろう。原則が適用されない場合、すなわちベルを鳴らしてよい場合のひとつに「危険を防止するためやむを得ないとき」が挙げられている。

 「ある日」の私は特に危険を感じていなかった。あれは登校中であったし急いでいると言ってもたかが知れている。故にベルを鳴らしたことに関して私は大いに反省するべきである。反省しています。あの場合は一度自転車を降りて小走りでおばあさんを追い抜き、それからまた自転車に乗るのが正解だったように思う。

 

繰り返しになるが、これらを踏まえるに「ある日」の出来事は10:0で私が悪い。

 

 

 

さて、ここからは主観的で感情的な話である。

 

町中でベルが鳴りまくってたあの時代に戻りたい。少なくとも私が小学生の頃は鳴りまくってた。鳴りまくってたは言い過ぎにせよ自転車のベルを鳴らすことに何の抵抗も無かった。歩行者に自分の存在を知らせたいときに鳴らしていた。

いつからか自転車のベルの音を聞かなくなった。自分も含めてみんな黙って歩行者を追い抜くようになった。追い抜かれた歩行者がびっくりしたように顔を上げる。ねえそっちの方が危なくない?そっちの方がストレス溜まらない?

「自転車が歩道を走るのは原則禁止」、大いに結構である。でもどうしても歩道を走ってしまうことがあるのは理解してくれよな。今君は歩行者かもしれないけど自転車側になることもきっとあるだろ?そのときのことを思い出せば、歩道を走っちゃうときもあるの頷けないかな?

「ベルを鳴らすのも原則禁止」、なんで?これいる?普通に鳴らせる方が安全じゃない?

「ある日」は多くの不快感と違和感を以て今も私の頭を回転させている。しつこい男は嫌われるが、生憎気になるあの娘が現れない。

 

 

 

私が今いる町はとても自転車に乗りやすい環境だ。おそらく実家近くは自転車を使うのにあまり適した環境ではなかったのだろう。

新しい自転車を買いに行ったがベルを取り付けずに安く買うという選択肢はまだ無かった。これからこのベルに私の左手親指が掛かることはあるのだろうか。

 

 

《参考》

自転車の交通ルール | 株式会社エコンテ

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