2020年3月
3月8日
昼ごはんにラーメンを食べに行こうとしたら途中で台湾料理屋を見つけた。
お店の外にメニューボードが出いてたのでどんなメニューがあるのか見ていたら、からんころんとドアが開いてお母さん的店員さんが「いらっしゃいませ〜どうぞ〜」と笑顔で声をかけてきた。
やってしまった、と思いながら泣く泣くラーメンを諦め、お店に足を踏み入れた。店内には一人も客がいなかったが、それが偶然ではない事はドアを開けてまで客を勧誘する姿勢からなんとなく察しがついた。
さて、メニューの中で一番惹かれたのは飲茶セットだったが、800円のラーメンを食べるつもりで家を出た手前、1600円の飲茶セットを頼む気にはどうにもなれなかった。よって780円の焼きそばで手打ちとした。そばだけにね。
焼きそばを待つ間、内装に目をやる。よくわからないポスターやアンティーク雑貨が散りばめられていてエスニックな雰囲気を醸し出していた。壁に掲げられたメニューは「銭さんの春巻き」「張さんの小籠包」など、○○さんの○○構文で書かれている物が多かった。残念ながら○○さんが一体どこの誰なのか一人も知らなかったので、追加情報として意味を成しているものは無かったが、小さく横に「トテモウマイ」と書かれていたのできっとウマイんだろう。
出てきた焼きそばは焼きそばの味がした。不味いわけではないけどラーメンの口になっていた自分には少しパンチ力が足りなかった。
ポイントカード作りましょうか?と聞かれたのでかまいたちを思い出しながらお願いしますと答えた。初めてだから、という理由でスタンプを1つサービスしてくれた。300円OFFの特典までに必要なスタンプはあと18個。これから頑張って埋めないとな、と思いながらお店を後にした。
3月9日
暖かくて風も弱かったので琵琶湖沿いのベンチで読書をした。下宿先からはちょっと距離があるけど、人がいなくてお気に入りの場所だ。
顔を上げると目の前の波打ち際に杖をついたおじいさんがいた。無視して読書に戻るとバシャッと音がした。湖面に小石を投げている。2回しか跳ねない。何度やっても2回。
ひとしきり投げるとおじいさんはどっかに行った。もしかしたらこのベンチは優先座席で譲るのを待っていたのかもしれない。しかし隣のベンチも隣の隣のベンチも空いていた。そう、隣の、隣だ。俺の名前はキンリー・ドルジ。ブータンから来た。
少しすると中学生野球部集団が来た。今日は人の出入りが多いな。開幕早々テンションが高く、泳ぐか?泳がないか?泳ぐならズボンは脱ぎたいな、でも脱ぐならあそこのベンチにいるメガネ嫌だなどっか行かねぇかな、みたいな感じだった。向こうは10人ほどいて数の力では負けていたので、私はiPhoneで流していたカネコアヤノの音量を上げた。
男らしい言葉遣い、というのがあまり好きになれない。自分の口から発する言葉と、自分の胸に潜む思いを一致させたい。理想を求め過ぎているだろうか。
3月10.5日
家に居たくなくて深夜2時に家を出た。始めは行く宛も無く街を歩いていたが、次第に足取りは琵琶湖の方へと向かった。1.5日前に黄昏たあのお気に入りの場所。
近づくにつれて高揚感が高まった。何しろ自分はあの場所の日中の姿しか知らない。深夜という時間帯があそこをより一層特別な場所にしてくれていると確信があった。
時刻は深夜3時を廻った。目的の場所に足を踏み入れた時、恐怖を感じた。ずっと向こうまで続く暗闇。波の音は寄せては返すなんていう優しいものではなく、海岸線に打ちつける激しいものだった。その音に終わりが来ないことを昼間は美しく感じたが、今は恐怖でしかなかった。
5分もしない内にベンチから腰を上げた。そこには自分を受け入れてくれる真昼のあの抱擁感は無くて、代わりに早くここから立ち去れ、という拒絶が私の頬と耳を冷たく刺した。怖かった。
帰りの街は全くの別モノになっていた。日中の街は私になんか興味を見せず忙しなく動く。でもその時は街全体が私の一挙手一投足を注意深く観察しているように感じられた。通り過ぎる車、アパートの換気扇、ショートした蛍光灯の火花。すべての音が私の方へ向けられている気がした。
家に帰ると、往路で買ったいろはすに復路では一度も口をつけていない事に気がついた。まだペットボトルに半分以上残っていたそれを飲み干す。深夜3時の彦根は私の知らない街だった。物事は二面性を備えている。一つ勉強になった。
3月18日
でかい文房具屋とでかい本屋に行った。
文房具屋を見てまわるのは結構楽しい。なぜなら商品の陳列に統一感があるからだ。文房具というのは案外シリーズ物の商品が多く、そういった物がズラーッと一面に並んでいるのを眺めると、マンガが全巻揃った本棚を眺めるのと同じような清々しさを感じる。
最近の書店は本屋大賞とこのマンガがすごい!の展示で溢れている。個人的にはどちらも信頼できるハズレの無い賞だと思っているのだが、それにしてもどの書店も似たり寄ったりすぎないか?まあ賞の在り方としては成功だろうし、仕方ないのかな。このマンガおすすめです。
散歩をすると野草がちらほら目に入るようになってきた。春の訪れだね。
例によって琵琶湖を眺めながら本を読み、家に帰ってキーボードをぽろろんと弾き、バイトに行った。18:00〜19:30まで一人もお客さんが来なかった。店長は株式投資を始めたいらしい。俺はやめといた方がいいと思うんだけどな…。
3月21日
親の金で寿司を食らう。
目の前で寿司を握るおじさんに対してさえ、「この人はどんな人生を送ってきたんだろう…」と想像してしまい、おいおいそんなこと考え始めるとしんどくなるぞ、もっと肩の力抜いていけ、と自分に言い聞かせた。そういうややこしい事はマグロが忘れさせてくれた。
コロナウイルスが世界中で猛威を奮っている。事態が早く収まるのを願いながら今日も手を洗う。
3月25日
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初めて会ったネパール人の賃貸物件探し in 京都に付き合った話(前編)
「ナカヤマさん、この書類読んでくれなイ?」
まかないを食べていると、店長にそう頼まれた。私はインド・ネパール料理屋でアルバイトをしている。店長も奥さんも、日本語は喋れるけど読めない。だからウチのアルバイター達は時々、やれ税金がどうのこうのだの、やれ認可保育園がどうのこうのだのといった小難しい書類を読まされる。
渡された書類に目を通すと、今回は賃貸物件の見積もり書だった。聞くと、店長の弟とその友達2人の計3人が今春から京都にある大学に通うらしく、そのために3人で一緒に住むアパートを探しているとのこと。前日に京都に行き物件を探してみたが、見積もりは33万円に及んでおり、いくら何でも高過ぎるんじゃないか、何でこんなに高いのか教えて欲しい、と言われた。
なるほど、バイト中にチラチラと視界に入り、今は私の目の前にいる新顔ネパール人3人は店長とそういう関係だったのか。ウチのバイト先にはかなりの頻度で見知らぬネパール人が来る。初めは知らない人を見る度に「あの人は店長とどういう関係ですか?」と尋ねていたが、初めましてのネパール人は絶えることが無く、段々覚えられなくなって確認するのをやめた。まあ、日本人の親戚すらロクに覚えられない私がネパール人の人物関係を覚えられるはずがない。簡単な話だ。
さて、目の前で圧をかけてくるネパール人3人には「時間かかるからちょっと待ってね」と伝え、私は悠々自適にカレーを食べながら現状の把握に努めた。そもそも私には賃貸契約に関する知識がほとんどなかった。恥ずかしながら今の下宿先の契約はほとんど親に任せっきりだったし、あれ?敷金・礼金ってそれぞれ何だっけ?という感じだ。よって、ナンのバターでベタベタになった指でスマホをスワイプしながら、見積もり書高騰の原因究明を進めることになった。
知らない人のために説明すると、賃貸契約の初期費用にはだいたい家賃の4ヶ月分ほどが掛かり、基本的には4種類の費用で構成されている。
1つ目は家賃1ヶ月分の前払い。当たり前だが入居したその日から家賃は発生するわけで、その月や次月の分の家賃を契約の段階で支払う必要がある。
2つ目は敷金。これは入居者の不手際などで老朽化した設備を退去時に修理するのに充てられる費用だ。退去時に回収しようとするとトラブルの原因になりかねないため、予め支払わされる。相場はだいたい家賃1ヶ月分で、原則余った分は返ってくる。
3つ目が礼金。文字通りお礼のお金で、アパートを貸してくれる大家さん・オーナーに感謝の意を込めてお金を払う。これもだいたい家賃1ヶ月分が相場だ。
4つ目が仲介手数料。これは物件を紹介してくれた不動産業者に対して支払うお金である。相場は家賃0.55ヶ月ほど。おそらく0.05は消費税だろう。
これら4種類の費用を合計すると家賃3.5ヶ月分になる。ここに火災保険料や鍵の制作費などのオプション費用が加算され、だいたい家賃の4ヶ月分が初期費用の相場となるわけだ。
見積もり書に記載された物件は敷金ゼロの物件だった。どうやら敷金・礼金ゼロを謳うことで借主にプラスの動機を与えるのが現在の賃貸物件業界のトレンドであるようだ。しかし、その実態として、ゼロになった分の費用が名称の違うよくわからないオプション費用へと変貌しているケースも多い。案の定、今回の物件でも敷金は確かにゼロだが、「スマイルパック」(盗聴器の探知&撤去)や「ベルヴィクラブ」(結局何なのかほんとによくわからねぇ)といった得体の知れないオプションが付随しており、その合計は5万円以上に及ぶ。調べると、アパートの管理会社である長栄という会社が問答無用でこれらの費用を徴収しているようで、かなり胡散臭い。さらに、家賃が6.7万円であるにも関わらず仲介手数料として7.3万円が記載されており、これは相場の家賃0.55ヶ月分を遥かに上回る。日本語の読めない外国人という理由で吹っかけられた事が容易に想像できた。
以上のことを簡潔にネパール人たちに説明した。スマイルパックについて説明すると、「スマイルパックってナニ?wwワタシたちこんなのに2.5万円も払いたくないよww」とその日一番のスマイルを見せてくれた。こんな形でスマイルを届けてくれるオプションだったとは。この物件と不動産業者はやめといた方がいいと伝え、私のミッションはコンプリートだ。大学から徒歩10分圏内の魅力的な物件がダメになったこと、そしてまた一から京都で物件探しを始めないといけなくなったことに、ネパール人3人はひどく落胆しているようだった。
私は「誰か一緒に賃貸物件を探してくれるような日本人の友達はいないか?」と尋ねた。また同じようにネパール人だけで賃貸を探しても今日の二の舞になる事が目に見えていたし、間に知り合いの日本人がいた方がありとあらゆる事がスムーズになる。「つい最近福岡から来たばかりで、同行してくれそうな友人の心当たりは無い」と返ってきた。
私は迷った。だが迷った時点で負けだった。向こう数日ぐらいはこの3人の存在が何かの拍子に私の頭の中に浮かぶだろう。私には想像力があった。慣れない土地で、慣れない言語で、難しい契約をしなければならない事の精神的ストレスが想像できてしまった。それに、運よくその日の私は「別にそういう事してもいいかな」と思える精神状態だった。
「じゃあ、俺でよければ一緒に行きましょうか?」
3人は本当に嬉しそうだった。私たちは簡単に自己紹介をし、「ネパール人3人」はそれぞれサントスさん、アユスさん、クリスナさんだとわかった。3人とも自分より随分年上に見えたけど、サントスさんは24歳、アユスさんに至っては21歳で同い年だったのか。
翌朝9時、私たちはお店の前に集まった。クリスナさんは来ないようで、サントスさん、アユスさん、私の3人でJR京都駅へ向かった。道すがらにいくつか会話をしたが、2人とも日本語が上手い。私にとっての英語ぐらいには日本語が上手い。福岡にいる間、日本語学校に通っていたそうだ。
午前11時、JR京都駅着。久しぶりに人混みへ繰り出したが、みんな顔が白く覆われている。やっぱり大変な事になっているんだなぁ。
事前に調べておいた不動産屋へと歩みを進める。入店する前に最後の確認だ。「何かわからない事があればその都度話を止めて僕に質問してください、全然気にしなくていいんで。」この2人にも今どんな事を話しているのかできるだけ理解してもらう。それがこの日の私のテーマ、私が同行する意味だと考えていた。
事前のアポ無しで突撃したにも関わらず、担当してくれた方にはとても丁寧に対応していただいた。こちらが探している物件の条件を述べると、「少々お時間いただきますね…」「申し訳ありませんがあまり多くの選択肢は提示できないと思います…」と前置きし、あちこちに電話したり、他の社員さんと何やら相談したりしてくれた。
待つ事およそ15分。1枚のコピー紙を渡された。「こちらでしたら外国の方もOKとの事です。いかがでしょうか。」目を通すと家賃が6万円で予算の25万円以内に収まりそう。広さも2DKでバッチリ。大学から徒歩40分か…うーん、ちょっと遠いけどまあ仕方ないかなぁ、鉄筋コンクリートなのも魅力だしなぁ…。
私の目には悪くないように映った。1発目、滑り出しとしては上々だ。選択肢としてキープ、かな。「このアパート、どうですか?結構良さそうに見えますけど。」二人の反応を伺ってみる。
「ナカヤマさん…」
「このアパート、この前にも紹介されましタ…」
くうううううそっっっっかあああ。聞くと、前回の京都での物件探しで別の不動産屋から紹介されたそうな。まあそりゃそうだよなあ、結構キツい条件だからそもそも選択肢が少ないし、同じ物件を紹介されちゃう可能性だってあるよなぁ。前回紹介された時、大学から遠すぎるという理由でサントスさんとアユスさんの間で却下になったようで、改めて見返してみてもその意思は変わってなさそうだった。
こりゃ思ったよりも難航するかもな…。そんな事を考えていると担当者が尋ねてきた。
「ところで、お部屋に入居されるのはこちらの二人でよろしかったですか?」
ウグッ!!!!痛い所を突かれた。そう、私は物件の条件を述べた時、何人で住むかはボカした。3人でのルームシェアというのは騒音に繋がる要因であり、大家さんにとってマイナスに働く可能性があるからだ。というか十中八九マイナスだからだ。「ネパール人」+「3人でのルームシェア」、そのコンボの威力や如何に。
「ああー…えーっと…実は今日は来てないけどもう一人ネパールの方がいて、3人で住みたいんですけど……」
担当者の方が半笑いになった。「あちゃ〜!」という心の声が聞こえた。
そう、この時の私はまだ知らなかったのだ。自らが首を突っ込んだミッションの達成難度の高さを…。そしてこの先に数多く待ち受ける苦難の旅路を…!
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2019年振り返り
「みなさん、一富士二鷹、三春日ですよ」っていう正月限定のオードリーの掴みが好きで、毎年それを楽しみに新春ヒットパレードを見ている自分がいる。
気がついたらもう年末ですよ、年末。
ちょっとずつ今年を振り返ってみていいですか。
高校の同級生に年末が好きだ、という奴がいて、それには全面的に同意する。
年末は街の人みんなが「年末」へ向かって一緒に空気を作っているような感覚がある。クリスマスから年越しまで1週間ぐらいインターバルがあるのもなんか凄いちょうどいい。
年末なんてみんな好きだろ、と思ったりもするけど、その同級生が「私は年末が好きだ」と発信しなければ、たぶん俺は自分が年末好きである事に気づかなかっただろう。
自分の好きな事を好きだと発信する人が、最近俺の周りから少なくなっている気がする。
発信というとつまりはSNS、俺の場合はTwitterへの投稿を意味するのだが、好きな事を好きだと発信する行為は時に一方向のコミュニケーションになりがちだ。要するに自己満足というか、例えばこの音楽めっちゃいい!っと思って乱暴にYoutubeのURLを貼り付けて呟いても、大抵そのリンクは踏まれない。
ここで勘違いしてはいけないのが、たとえ何か気の利いた一言を添えてYoutubeのURLを呟いたとしてもそのリンクは踏まれることがなく、この場合の正解はTwitter内で完結する120秒ぐらいの動画の形態で呟く事だと個人的には思っている。受け取り手の気持ちを考えた双方向のコミュニケーションって、たぶんそういう事じゃないかな。
この双方向のコミュニケーションというのがそれはまあ難しく、俺も全然できない。その上、「好きな事を好きだと発信する事が一方向のコミュニケーションになってしまっている状況」は、外から見ると往々にしてダサく見えてしまう。
だから自分の好きな事を好きだと発信する人が減ってしまったのかな、と思っている。推してるコンテンツへの愛を綴ったツイートのいいねが少ないのを見るとなんかちょっと、うーん、、自分はこんな風になりたくないかも、、、って感じになるのもまあわかる。
でももう少し俺は粘ってみたい。周りを気にして好きな事を好きって言わないのはなんか寂しいし、来年はもうちょっとみんなの興味を引けるように発信していきたい。こんな事を来年の目標チックに掲げるのはしょうもない?笑 まあいいでしょ。
『自分の好きな事や自分を助けてくれた文化が、他者にとっても同じように助けになると思うな』というのは漫画「ルポルタージュ」から学んだ教訓だ。
音楽や芸術の持つパワーは凄まじくて、俺も何度も助けられてきたけど、他の人にとっても同じようなパワーを持つとは限らない。
人の温もりを受け取る事ができなくて辛い想いをしている人に「まあこの音楽でも聴いて元気出しなよ、これめっちゃいいからさ」と言ってはいけない。人の温もりを欠いた人には、ちゃんと愛情とか思いやりとかそういった類いのものを与える必要がある。
俺は今までそこの所を勘違いしていたきらいがある。こうやって文章にすると当たり前に見えるけど、気づけていなかったと思う。反省しないといけない。
ルポルタージュは今年の夏ごろに連載が終了した。お気に入りだった漫画が完結して嬉しくもあり悲しくもあったけど、色んな事に気づかせてくれた大切な漫画だ。作者の売野機子さんはこれからも追いかけていきたい。
作家さんでいうと売野機子さんの他にもう1人、小説家の瀬尾まいこさんがとても好きだということに気づいた。秋口ぐらいに大量に読書をした時期があったのだが、その時にハマった。なぜだか今までまったく読んでいなかったので、大学の図書館で片っ端から瀬尾まいこの本を借りて読み耽った。もちろん本屋大賞の「そして、バトンは渡された」 も押さえた。
瀬尾まいこの物語に出てくる登場人物は、みんな芯があるのにどこか行き当たりばったりで生きてる感じがして好きだ。俺を含めた大学生で、自分の将来を考えるととてつもない不安に襲われる人は多いと思うが、そんな時に行き当たりばったりの中で強く生きるキャラクター達を見ると勇気がもらえる。
「強運の持ち主」に出てくるルイーズ吉田とか凄い好き。ちょっと占いに行ってみようかな、とか思ったし占い師になりたいな、とまで思った。
瀬尾まいこ、まだ読んだ事ない人は是非読んでほしい。
Kindle Paperwhiteを買ったので読書は殆どKindleを用いて行うようになった。
現代社会において軽さと省スペースは正義だ。持ち運びがしやすいというのが本当に便利で、例えば今のように年末実家に帰るときもKindleをスッとカバンに忍び込ませるだけで移動中退屈しなくなる。
また、Kindle Unlimitedという定期購読サービスを利用していた時期もあって、1000円/月で色んな本が読み放題で楽しかった。中には将棋の本もあって大会前は重宝した。
Kindleのおかげで去年と比べて本に掛けるお金が多くなったと思う。元々読書は好きだし、来年も本にはお金と時間をかけていきたいな。
サブスクリプションが俺の生活に溢れている。
先に挙げたKindle Unlimited然り、様々なサービスを定期購入した。何といっても世は大サブスクリプション時代、この波に乗り遅れまいと色々なものを無料お試ししたし、俺以外にもそういう人は多いんじゃないだろうか。
Spotify、amazon prime、Kindle Unlimited、Youtube Premium、Netflix、NHKオンデマンド、Apple arcade、将棋ライブ中継。自分が今年利用したのはザッとこれくらいだ。
今でも継続して使っているのはSpotifyとamazon prime、将棋ライブ中継の3つだけかな。色々試したけど自分にはこの3つで十分だし、当面はこれで落ち着くと思う。2時間バイトすれば一月分払える金額なので値段的にもちょうどいい。
ところでSpotifyのプランを学生プランに変える手続きが煩わしくて永遠に毎月500円ぐらい損し続けてるのどうにかしたい。教務に書類申請するめんどくささからの解放を毎月500円でサブスクしてる。バカ。
インド・ネパール料理屋でアルバイトを始めた。
良いタイミングで良いバイトに出会えたな、と思う。俺に必要なのはネパール人の温もりだったんだ。
アルバイトにおいて人間関係ってめちゃくちゃ重要だと思う。合わない人がいたり腹立つ人がいたりするだけでもうバイトに行きたくなくなる。そして、お金を得るプロセスでそういう精神衛生上よくない事があるのは物凄くストレスになる。
その点、ウチのバイト先は根本的にコミュニケーションを完璧に取る事ができないから、大抵の事に対して「ま、いっか!」の精神で取り組める。
なんだろう、本当に時々ネパール人の店長に怒られる事もあるけど「そういう考え方もあるんだなぁ」って凄く自然に受け入れられる。これが日本人だと、たぶん俺はその人の言ってる事を理解しようとそれなりに努力してしまうのだが、ネパール人に言われると「ま、別に理解できなくてもいっか!」ってなっちゃう。これってあんまり良くないことかな?ま、いっか!
働き始めてから週2でカレーを食わないとそわそわする体になってしまった。ちなみにウチのお店で一番上手いのはメニューに小さく載ってるスープカレーだ。みんな食べに来てくれ。
バイト代の使い道は様々だが、一番はゲームだったと思う。
元々俺はゲーム大好き人間で、ビデオゲームなんかは自分でやるのも誰かがやってるのを見るのも大好きだった。
今年もビデオゲームはいっぱい遊んだ。2019年個人的ベストゲームは"Return of the Obra Dinn"。画面にかじりつくように夢中になった。
また、今年は自分のゲームカテゴリの中でアナログゲーム・ボードゲームがメキメキと頭角を表してきた一年だった。2019年の正に始め、ボードゲーム福袋を購入してからどハマりした。
ビデオゲームと比べると、やっぱり人と向かい合ってやるのがいいのかな。相手の表情が見えるし、友達と遊ぶと本当に楽しい。文字通りワイワイ遊べる、そういう機会を設けてくれるボードゲームと出会えてよかった。
2019年、新しく出来た友達がマジで少ない気がする。
最近、交友関係を広げる事に苦手意識が芽生えている。大学で出来た友達もイマイチ感情のやり取りをしている感じがしなくて、よくわからない。もちろん一緒にいて楽しいんだけど、悩み事の相談とかはする気になれない。
高校は本当に恵まれていた。いつまでもそこに縛られる訳にはいかないけど、あの高校に行ってよかったと心の底から思っている。
みんな元気だろうか。もう随分と顔を合わせていない人がTwitterでいいねしてくれたりすると素直に嬉しい。ああ、この人の生活にまだ少しだけ俺は存在しているんだな、と安心しながら自分もその人の事を思い出そうとするけど、段々記憶があやふやになってる気がする。また何かの機会で会えたらいいね。
気になるあの娘を誘って一緒に花火大会に行った。あんなに楽しい事がこの世に存在するなんて知らなかった。
「子どもの頃、スーパーに並んでる鶏の生肉とか見て『美味しそうだな〜』って思いませんでした?」って聞かれた時、何て返すのが正解だったのか未だにわからない。
大学での生活はどうだろうか。
辛い。頑張れない。
自分の大学での成績は本当に酷い。あまりあの大学を卒業できる気がしない。
毎日抜け殻みたいに生きている。誰に何を打ち明けたらいいんだろうか。どこをどう弄ったら解決へと向かっていくんだろうか。よくわからない。
主夫になりたいと思うようになった。
知らない誰かの為に働く自分が上手く想像できなくて、じゃあ主夫になればいいじゃん、知ってる大切な誰かの為なら働ける気がするじゃん、っていう思考回路だ。
でも当たり前だけど主夫って1人で主夫になりたい主夫になりたいって思い続けてもなれない。だからこれを将来の目標として設定するのはおかしい気がして、主夫の他にも自分の将来像を持つ必要があると思っている。
あと主夫になりたいんだったら料理もうちょっと頑張らないと駄目だわ。不味い訳じゃないんだけどなんかこう、捕食者の胃袋を掴んでやるという気持ちが料理に表れていない。
年末、久しぶりに家族総出で母方のおばあちゃんの家に行った。おばあちゃんは俺の実母の妹にあたる叔母夫婦と暮らしている。
普段写真なんて撮らないけど、この写真、物凄く温かい感じがして好きだ。この写真を自慢したくてこの記事を書こうと思った。
俺の実母はもう10年以上前に亡くなってしまって、気づけば人生で母と過ごした時間よりも母がいない時間の方が長くなっていた。悲しさはあるにはあるけどそれを生活の中で意識する事はなくて、なにぶん母について覚えていることがもうほとんど無い。沖に流されゆく俺を泳いで助けに来てくれたらしいこと。当時はレギュラー番組として放送されていたさんまのまんまが好きだったこと。トマトと玉子のスープを残したら物凄く怒られたこと。あと、死ぬ直前に「子ども達の将来を私も一緒に見たかった」と言っていたらしいこと。これは廃れた大学生活の中で思い出すと泣いちゃうからやめてほしい。
俺の家族とおばあちゃん一家を繋いでいたのは母の存在だけだったはずなのに、母がいない今、どの親戚よりも強く結びついている気がする。
こんなこと考える必要はないかもしれないけど、叔母夫婦に子どもがいない事を思うと、あの家族の中で俺と兄にしか果たせない役割がある気がする。自分自身があの家族の中で大切な1つのピースを担っているんじゃないかって思う。
俺の人生って、俺1人の人生じゃない。だから簡単に捨てようとしちゃいけない。
カリヨン塔のふたり
好きなテレビ番組は?
そう聞かれた時の私の答えは3つに決まっている。
一つはモヤモヤさまぁ~ず。
一つはNHK杯将棋トーナメント。
そしてもう一つは世界ふれあい街歩きだ。
あなたは知っていますか?NHK BSの神番組、「世界ふれあい街歩き」を。
毎週火曜の夜20:00~BSプレミアムで放送されているこの番組は、世界の街を気ままに歩く旅番組だ。実際に街を歩いているような気分になれる「疑似体験」を視聴者に与える、というコンセプトがとことん追求され、NHKらしい落ち着いていて質の高い番組になっている。
私はこの番組が大好きで、実家に帰るなどしてテレビが見られる環境にあると欠かさず必ず見る。好き過ぎてNHKオンデマンドでわざわざ単品購入して見ることさえある。
番組は目的の街に向かう電車の中から始まる。なるほど確かに「実際に視聴者がこの街に旅をするかのように」というコンセプトに沿っている。
1人称視点のゆったりとしたカメラワークで番組は進行する。移動中はカットシーンも少なめになっている。
アポイントメントは取っておらず、撮影時にすれ違った街の人々との偶然の出会いで番組は構成される。現地の言葉で交わされる会話に日本語字幕とナレーションが重ねられる。
偶然だから当然、出演者は老若男女様々である。偶然だから当然、脚色の無いその街本来の姿を見ることができる。
番組の終盤、撮影隊はカリヨンのある塔を訪れる。
カリヨンというのは複数の鐘を組み合わせて一つの曲を演奏できるようにしたもので、オルゴール的な原理のやつである。
塔を上るとそこではカリヨンの調整が行われていた。決まった時刻を鐘の音で知らせる時計塔のような役割を果たしているこのカリヨン塔だが、なんでも月ごとに演奏する曲を変えているそうだ。
夫婦でずっとこの塔のカリヨンの調整を行い続けてきた女性に話を聞く。
「彼がピンをさして 私が留めて ずっとふたりで作業をしてきたのよ」
放送を見てから、この言葉を何度も自分の中で反芻している。
実際にこの女性が喋っているのはドイツ語で、目にしている日本語はこの人じゃない誰かが翻訳したものであることはもちろんわかっている。そのうえで、この言葉は画面に映る女性と画面に映ることのない男性のふたりの生活を、人生を、愛情を、表しているようでとても耳触りが良かった。
もし仮に私に大切な人ができたとして、30年間ふたりで生活をして、30年後に先立たれ生活だけが残ったとすると、私は何を思うのだろう。
目の前の1日を生きることにすら精一杯な私にそんなことわかるはずがなかった。でもきっと、そんな精一杯の1日を積み重ねていたら30年になっていたんだろうな。
このカリヨンには旦那さんとの思い出が詰め込まれているんですね、と女性に呼びかける。
「世界ふれあい街歩き」はどこかの誰かの人生を私に届けてくれる。
この番組は交差点になり、交わることのないはずだった誰かの人生と私を出会わせてくれる。
火曜日の夜の過ごし方、選択肢をひとつ増やしてみるのはいかがだろうか。
天丼とブルートレイン
財布の中身を整理していたらこんなものが出てきた。
大阪の福島〜中之島間にある天丼屋の割引券だ。
この天丼屋は中学生の頃によく通っていた。
福島には関西将棋会館という日本有数の将棋施設があり、私はそこに毎週将棋を指しに行っていた。最寄り駅から京阪終点中之島駅まで電車に乗り、そこから歩いて福島を目指す。汚い川を越えたすぐ先にあるのがこの天丼屋で行きがけによくここで昼ごはんを食べた。
会計の時にいつもこの「また来てね券」を渡された。中学生の私は素直だったからまた来てねと言われるままにまた行った。2回目以降はずーっと定価−50円の恩恵が受けられた。うろ覚えだけど600円くらいで天丼・味噌汁・お新香が食べられた気がする。
その日もいつもと同じように天丼を食べていた。11時半ごろ、お店は空いていてカウンターには私一人だった。
するとお店の有線から聴き覚えのある曲が聴こえてきた。このイントロ聴いたことある。それもかなり最近だ。何だっけこの曲。ボーカルを聴けばバンドはわかる気がするけどイントロが長過ぎる。
あ!やっとボーカルがきた!これは……アジカンだ!!進研ゼミのCMソング、「マーチングバンド」で興味を持って最近聴き始めたアジカンだ!名前は思い出せないけどこの曲はついこの前買ったBEST HIT AKGの中に収録されてた曲だ!!
お店を出て将棋会館に向かう道すがら、ウォークマンでBEST HIT AKGの曲を上から再生していく。真ん中ぐらいにその曲は、あのイントロはあった。
私が初めて「ブルートレイン」を認識した瞬間である。
初めてBEST HIT AKGを聴いたとき第一印象で好きだと思ったのは未来の欠片やアフターダークだった。ズンタン ズズンダン ズダン ズズタン。アフターダークのイントロはカッコよかった。
「夜風が運ぶ 淡い希望を乗せて 何処まで行けるか」
サビの歌詞も中学生の私に効果はばつぐんだ。私はわかりやすいカッコよさ・ロックンロールに惹かれた。
聴いていく内にアルバムの中のポップな曲の良さに気づく。君の街まで、ループ&ループ、ブラックアウト。この並び、最強じゃないか?
ブルートレインは私のロックンロールアンテナとポップンロールアンテナのどちらにも引っかからなかった。何だかパッとしなかったのだ。
「此処で剥きだしで走る夕 歪なレール上を転がるように」
歌詞カードを見た時、夕ってなんだよ、と思った。今でも夕が何なのかはわからない。
年月が流れて、中学生から大学生になって、Spotifyのアジカンのページを開いた時に私の指が真っ先に吸い込まれていくのは、未来の欠片やアフターダークではなくブルートレイン、ムスタング、新世紀のラブソングだった。
今でも未来の欠片やアフターダークはカッコいいと思う。嫌いになったわけじゃない。
ブルートレイン、ムスタング、新世紀のラブソングのどこが好きなの?って聞かれたら口籠る。どこが好きなのか上手く説明できないから今でも聴いているんだと思う。不思議なもんだよなぁ。
天丼を食べるとブルートレインを思い出すしブルートレインを聴くとあの天丼屋を思い出す。天丼とブルートレインをこんな風に結び付けているのはきっと世界で1人だけだろうなぁ。そんな風に思うと今までの自分の人生も悪いもんじゃないと思えた。
3000円で買えるNintendo Switchおすすめソフト
6月27日からNintendo Switch本体を買うとソフト購入時に使用できる3000円クーポンが付いてくるキャンペーンが行われている。
Switchは神ハードだ。ハチャメチャに面白い。
Switch前の最新所持ハードがDS Liteだった自分からすると革命だった。
自分が今までやってきたゲームと比べてグラフィックが圧倒的に綺麗。時にはテレビの大画面で、時には携帯モードで寝ころびながら。おすそ分けプレイで友達と遊ぶのもメチャ楽しい。
何より今まで指を咥えて実況動画を見ているだけだった最新ゲームの数々をリアルタイムで楽しめるのだ。注目ゲームの最新情報にネットユーザーと共に歓喜できるのだ。ゲーマーにとってこれほど嬉しいことはない。
あなたがゲーマーであるならSwitchは買うべきだと思うし、Switchを買うならこのキャンペーンはまさにその機会だと思う。
と、いうわけで今回は3000円で買えるSwitchのおすすめソフトを紹介していく。
Switchを買うかどうか迷ってる人、既にSwitchを持っていて次に遊ぶゲームを探している人の参考になれば幸いだ。
1. Celeste
ドット絵の2Dアクションゲーム、Celeste(セレステ)。
少女Maselineが難攻不落の山、セレステ・マウンテンを登頂する。行く手に待ち受ける数多の障害を乗り越え、少女は頂上を目指す。
アクションゲームというジャンルは往々にして難易度が高く、瞬発力や複雑なコマンド操作が要求される事が多いため、一般的に「ゲームが苦手な人」がゲームを苦手とする所以となっている。
このゲームも例によって難易度が高く、所謂「死にゲー」の側面を持ち、トライ&エラーを繰り返す中で障害を乗り越えていくゲームだ。
ただ、私はこのゲームをアクションゲーム初心者、「ゲームが苦手な人」にこそ勧めたい。なぜならこのゲームは達成感を感じられる場所が随所に散りばめられ、それを乗り越える中でプレーヤーが徐々にスキルアップできるよう非常に考えられたものになっているからだ。
失敗を重ねる内に指が感覚を覚えてくる。リトライまでのテンポが良いゲームシステムも、目の前の課題の克服に一役買ってくれる。
できなかったことができるようになる。成長するという体験は心に残るしわくわくする。
たかがゲームで何を大袈裟な、と感じたそこのアナタがこの先この体験をできないことを本当に悲しく思う。ゲームでくらい成長したっていいじゃないか。
Celesteは2160円。1人用モードのみ。困難を乗り越えたいあなたに。
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2. Overcooked2 - オーバークック2
はちゃめちゃクッキングパーティーゲーム。
最大4人で協力してドタバタクッキング。パン持ってきて!トマト切るわ!肉焼かないと!ああー!フライパンあっち行っちゃった!お皿どこー!鍋燃えてる燃えてる!
飲食店のアルバイトをゲームにしてみました。そんな感じ。
友達が家に来たとき安心して提案できるゲーム。これを遊んで盛り上がらなかったことがない。てんやわんやの大騒ぎ。1人でやるゲームじゃない。
システムの説明をすると、次々に来る注文を見て適切な食材を運び出し適切に調理して適切に盛り付ける。料理が完成したらお客さんに出して食事が終わった皿は洗う。この世界線ではどの店も皿が4枚しかない。オーナーがMAXバカ。
ステージによって注文される料理の種類や調理器具の配置、フィールドギミックが異なるので飽きが来ない作りになっている。もちろんどれも「プレーヤー同士が邪魔をし合う動線をとるように考えられた」いやらしい配置だ。
ハイスコアを目指すとなればプレーヤー間のコミュニケーションが必須となるので、自然に盛り上がれる。もっとも、そのコミュニケーションも処理能力を高めるために次第に端的になり、よりピーク時飲食アルバイトの様相が増すのだが。
恋人と2人で頑張ってストーリーモード全部星3クリアしました、なんていうレビューも多い。ふーん、えっちじゃん。
ナンバリング2のタイトルだがOvercooked1(無印)をプレイしたことが無くても楽しめる。実際に私は無印を購入していないが問題なく楽しめている。
Overcooked2は2750円。2~4人プレイ推奨。みんなでわいわいしたいあなたに。
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3. Cuphead
カートゥーン調のグラフィックが特徴の横スクロールアクションゲーム。
デビルのカジノで多額の借金を背負ってしまったカップヘッド(赤)とマグマン(青)が借金を返済する代わりにカジノの他の債務者を懲らしめる。
この画像、実際のゲーム画面である。質が高い。
1930年代のカートゥーンアニメをモチーフに製作されたらしい。トムとジェリーよろしく、キャラクターの表情や動作にこだわりを感じる。アニメの中のキャラクターを動かしているように思えるし、プレイすること自体が楽しいゲームだ。
しかし侮ることなかれ。そんな楽しい画面の細部に注意を向ける暇も無いほどに、このゲーム激ムズである。ボスバトル形式のゲームなのだがそれぞれのボスが一癖も二癖もあって手強い。だからこそ倒した時の達成感が半端ないんだけどね。
また、このゲームは2人で協力プレイもすることができる。私も主に大学の友達と一緒に遊んでいる。2人プレイであればお互いに助け合うこともできるが、画面がうるさくなってこんがらがり易くなる為に一概に簡単になるとは言えない。
Cupheadは1980円。1~2人でプレイ可能。おとぎ話に飛び込みたいあなたに。
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4. Night in the Woods
海外のインディーゲームの祭典で2018年に大賞を受賞したアドベンチャーゲーム。
大学を中退したメイは田舎町ポッサム・スプリングに帰って家族や地元の友人と日々を過ごす。でもそんな誰かとの関係も、何もかも昔のままというわけにはいかない。
このゲームはひどく退屈だ。
このゲームに限らずアドベンチャーゲームというジャンルは、町を駆け回ってNPCと何度も会話をしAボタンを連打し続けてテキストを読み戦闘もキャラのステータス変動も無いアドベンチャーゲームというジャンルは、退屈だ。
このゲームにあるゲームらしい要素といえば進行中にときたま出会うミニゲームくらい。
あとは会話。移動。会話。移動。イベント。移動。会話。
ひたすらこれの繰り返しだ。退屈だ。
こんな退屈なゲームに心を揺さぶられるわけ、無いだろう?
Night in the Woodsは1980円。1人用モードのみ。眠れないあなたに。
Nintendo Switch|ダウンロード購入|ナイト・イン・ザ・ウッズ (Night in the Woods)
5. Stardew Valley
ドット絵の牧場経営シミュレーションゲーム。
祖父から古い農場を受け継いだプレーヤーが田舎町でまったりスローライフを送ることに。農耕、牧畜、釣り、採掘、交流…何をやっても自由。第二の人生を楽しもう。
どう森新作が待てなかったり、のび太の牧場物語の地雷臭が怖くて手が出せないあなたにうってつけなのがこのゲーム。
このゲームを買うまでは私もどう森新作を買うつもりだったが、もうなんかこのゲームでどう森成分を補充してしまって別にどう森買わなくてもいいかな、っていう気になってる。
作物を売ったり素材を集めたりして段々と自分の農場を拡張していくのだが、一つ目標を達成するとまたすぐに別の目標が出来て辞めどきを見失う。できることが少しずつ増えていき、この先できるようになりそうなことがまだまだいっぱいある、という状況は多くのゲーマーの好物なのではないだろうか?「あと1日だけ遊ぼう」が延々と続く時間泥棒ゲームだ。
また、この手のスローライフ系ゲームあるあるだが1日にできる最大効率の動きを求めるためにキビキビと移動し常に頭を働かせるまったくスローライフ感の無いプレイになりがちである。ゆっくり街を散歩したり海を眺めるような時間があると思うなよ。
Stardew Valleyは1480円。1~4人でプレイ可能。じっくり拡張したいあなたに。
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6. Mini Metro
世界中の都市を舞台にした地下鉄シミュレーションゲーム。
路線を引いて効率の良い鉄道網を構築しよう。ここは単線にする?ここは環状線にする?好きなように駅と駅を結んで乗客を運んであげよう。
「イケてる地下鉄を作ろう」という最高にイケてるキャッチフレーズ。噛めば噛むほど味の出るスルメゲー。
駅と駅を結んで乗客を運ぶ。〇の客は〇の駅へ。△の客は△の駅へ。□の客は□の駅へ。
時間が進むごとに全体の乗客量は増えていき、一つの駅に乗客が溜まり過ぎるとゲームオーバー。
「好きな人は好き」なゲームであり、私は好きな人だった。
ゲーム全体に漂うTHE シンプル感が良い。略地図的なマップ、BGMともSEとも言い難い音楽、イケてる地下鉄を作ろう。良い。
何時間ものめり込むようなゲームじゃない。ふとした時にふと思い出したかのようにやるゲーム。
深夜3時ぐらいに麦茶飲みながらやるのが一番楽しい。他に特筆すべきこと無し。
Mini Metroは1100円。基本1人プレイ。頭を空っぽにしたいあなたに。
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いかがだっただろうか。
テスト期間のお供にこれらのゲームを遊んで一緒に単位を落とそう。
音楽備忘録 Vol.1 60分弱の世界旅行 くるり 『THE PIER』
今回は私がこの世で最も好きなアルバム、くるりの『THE PIER』について語ろうと思う。
『THE PIER』は2014年9月17日に発売された。
同時期の日本のバンド音楽シーンは如何なるものかと言うと
BUMP OF CHICKENの『RAY』(2014年3月12日)
KANA-BOONの『フルドライブ』(2014年5月21日)
Base Ball Bearの『二十九歳』(2014年6月4日)
ゲスの極み乙女の『猟奇的なキスを私にして』(2014年8月6日)
チャットモンチーの『こころとあたま/いたちごっこ』(2014年10月29日)
等々リリースされている。
これは旅をするアルバムである。このアルバムを聴きながらソファに深く腰掛け目を閉じると、我々は世界を旅行することができる。そんな風に私は思う。
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1曲目「2034」
インストゥルメンタル。場面は客船に乗り込むところから始まる。豪華客船と言ってもいいかもしれない。共に旅をする大切な人か、はたまた偶然居合わせた見ず知らずの誰かかと、船出を祝ってグラスを交える。
来たる旅への胸の高鳴りが止まらない。打ち込みのドラムから生ドラムへと変わるところはベースラインと相まって堪らない。甲板に上がってみると目の前に広がる大海原に目を奪われた。そんな情景が浮かぶ。
2曲目「日本海」
満を持して岸田繁のボーカル。この曲のボーカルの入りは本当にすばらしいと思う。何度聴いても好き。1曲目の2034がインスト曲であったため、アルバムとしても初めて岸田繁の声がのるところである。気合いが入っているのに肩の力も抜けている。
甲板から海を眺める。日本海というからには出発点は日本なのだろう。向こうに見えるはロシア。めっちゃ北の方やな。
私は早朝、夜明け前の暗がりを想像していたのだがこの曲の歌詞には「静かな海を観ていたら月灯り」とある。解釈違いだ。なうなう。
3曲目「浜辺にて」
焦らす。焦らしに焦らす。1曲目にインスト、2曲目に掴みどころの無い曲、と来てついに3曲目来るか!?わかりやすい盛り上がり曲来るか!?と思ってたらもう1発掴みどころの無い曲。好き。
「突然列車を降り立ち 波打ち際へ向かった」
どこ?俺の今までの船旅どこいったん?返して。
出発前の話かな?だとすればこの旅は計画性の無い突発的なものであることがわかる。
1曲を通して同じリズムのベースとドラム。この単調さが掴みどころの無さに拍車を掛けてるし他のウワモノを際立たせてる。と思う。
4曲目「ロックンロール・ハネムーン」
浜辺にて、の時点で既に目的地に上陸はしていたと思う。この曲はいつもとは違う街に、空気に、少しわくわくして、少しという表現は些か控えめだけど少しどきどきしているんだと思う。ホテルまでの道とかそんな感じかな。ほんでチオビタも飲んでる。
最初から最後までトランペットが印象的である。わかりやすい盛り上がり曲は次の曲なのでそこに向けてジワっと上げてきたな、という感じだ。
余談ではあるがアルバムを通しで聴いた時、個人的にはこの曲の印象は薄い。この曲が霞むってどういうこと。
5曲目「Liberty&Gravity」
間違いなくこの時期のくるりを代表する1曲だろう。PVもすばらしい。
くるり-Liberty&Gravity / Quruli-Liberty&Gravity
私はずっと東南アジアあたりの市場や出店でよくわからん果物に噛り付いてよくわからん麺を啜る岸田繁を想像しながら聴いていたが、東南アジアに行く道中ではロシアは見えない気もするのでよくわからん。
ヘンテコな曲である。後にくるりが発表した「ソングライン」という曲に対して岸田繁は「全部詰め込んだ曲」と言っていた(気がする)が、この辺りからその兆候が、1曲に全部詰め込む、削らないスタイルの曲作りが確立されていったんじゃないかと思う。
6曲目「しゃぼんがぼんぼん」
わかる。この辺りでこういう曲を置きたくなるのメッチャわかる。
Liberty&Gravityで聴衆を殴り飛ばした後に、雪崩のように畳み掛けるアップテンポの曲。Liberty&Gravityからそのままlovelessに繋げるのではなく一度この曲を挟む。それが呼吸ってもんだろ。
7曲目「loveless」
地中海。太陽が燦々と降り注ぐ白壁の街並み。水面きらきら。
違うかなぁ。そうとしか思えないんだけどなぁ。でも東南アジアからいきなりヨーロッパは飛び過ぎな気がするんだよなぁ。
何気にこのアルバムで一番聴いてる曲だと思う。他の曲はアルバムの流れの中で聴きたいけどこの曲は単体でも聴きやすい。
8曲目「Remember me」
旅の途中で故郷に想いを馳せること、あるでしょう。タイミング的にもこの辺りで間違いない。
弦楽器の映える『ワルツを踊れ Tanz Walzer』と歌モノ(非常に曖昧な表現だが)の『魂のゆくえ』、この辺りのアルバムの延長線上に『THE PIER』が存在している。
なんかもうこのへんから語ること無いんだよなぁ。多幸みが深い。
ボーカルの余韻の残し方ほんと上手いよね。別の曲だけど「ロックンロール」とか時々自分で口ずさむと全然本家と違う。当たり前だけど。
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このアルバムに出会ったのは高校2年生の時だったかなぁ。一番聴いていたのは高校3年生の時だと思う。
CDのミックスをする機会があったので、良い音とは何か、みたいなことを日がな考えて音楽を聴いていた日々だった。
このアルバムは良い音だと思った。というか天下のくるりの最新アルバムなんだから悪い音なわけないだろ、と思って聴いてた。
でもこれは良い音とか悪い音とかじゃなくてくるりの音なのだ。そう、くるりの音なの。まったく参考にならない。
受験期、特に進路選択を悩んでいた時にずっと聴いてた。ヨーロッパの学校に登校してヨーロッパの学校で休み時間を過ごしてヨーロッパを通って家に帰った。進路選択にもきっと大きな影響を与えていたと思う。
無意味に2枚目を買ってみようかな、とも思った。今でもまだ隙あらば2枚目を買ってやろうと目論んでいる。初めてのレコードはこのアルバムがいい。
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9曲目「遥かなるリスボン」
夕方なのか朝なのかわからない。たぶん夕方まだ日の落ちる前、3時ごろだと思う。
自分はこの辺りから眠くなるから最後のメリークリスマスぐらいまで寝ることが多い。
10曲目「Brose & Butter」
この曲3分も無いんだね。4分半ぐらいあるイメージだった。濃厚なイメージ。どろっとした液体。まさに蜂蜜。
眠い。寝てる。個人的にはこの後のAmamoyoとセットだと思ってる。なんとなく。
11曲目「Amamoyo」
寝てる。変な曲。寝てる。
ゴールデンアワーなのかなぁ。歌うと言うより語り口調。このアルバムで唯一の作詞・作曲佐藤征史。言われてみればjumboと同じ雰囲気がする。
12曲目「最後のメリークリスマス」
メリークリスマス。夜の街並み。光る街灯とイルミネーション。サンタが出てくるクリスマスソングというよりかは北風吹く夜の街をマフラーして歩くイメージ。知らない誰かが作った雪だるまもありそう。
13曲目「メェメェ」
メェメェ。
14曲目「There is (always light)」
最後の曲。帰りの飛行機で地元の友達を思い出す。
なぜ自分がこの曲を好きなのか言語化できない。アルバム後半はそんな曲ばっかり。ただそこにあるから好き。この流れの中に存在しているから好き。
このアルバムの最後を飾るに相応しい。この曲以外ありえない。
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このブログを書きながらまた通算130回目ぐらいの世界旅行に出掛けてしまった。みなさんも一緒にどうだろうか?